2011年06月13日

ベルリン・フィル八重奏団より、メッセージとインタビュー

親愛なる日本の皆様

 この度、日本での演奏会ツアーを予定通り行えるということを本当に嬉しく思います。
実はベルリン・フィル八重奏団のオリジナル・メンバーの中で「日本公演に参加しない」という決断を下したメンバーが出た時、ツアーに臨むべきかどうかとても悩みました。
 ベルリン・フィルのリハーサルやコンサートの合間を縫って何度も話合いを重ね、私達は「日本公演を行なわない理由はどこにもない」という結論に至りました。むしろ「行くべき」理由がたくさんありました。私達の演奏を心から喜んでくださる日本の聴衆の皆様、そして日本にある無数の素晴らしいコンサートホール、そのすべてを私達は愛しています。最も重要なことは感傷的な意味ではなく、我々の友人達が今本当に大変な時にあるからこそ、その状況に背中を向けることはしたくないということです。私達は日本に友人や家族がいます。そして私達が来日することを心待ちにしてくださっています。
 このような日本への強い思いから、私達は一部のメンバーを変更し、日本ツアーを行うことを決意致しました。
バボラーク(ホルン)の代役には、シュテファン・イェジェルスキにすぐに声をかけることを思いつきました。彼はすばらしいホルン奏者でこれまでも我々全員が何度も共演しており、レパートリーを熟知しているだけでなく一緒にいて楽しい音楽家です。当初彼は世界中にTV放送されるヴァルトビューネ・コンサートでベルリン・フィルの1番ホルンを吹くことになっていましたが、私達の思いを受け止め、出演をキャンセルして私達との日本ツアーに参加することを決意してくれました。
 ボガーニ(ファゴット)の代役、ヤッコ・ルオーマは古くからの友人です。私が彼と初めて一緒に演奏したのは20年程前、クーモ室内楽音楽祭のときだと思います。ファゴットをこんなに美しく(そしてこんなに速く)演奏できる者がいるのかと驚嘆した覚えがあります。当時彼はマレク・ヤノフスキ指揮ベルリン放送交響楽団の第1ファゴットとして「ベルリンの人」となり、その後フィンランドへ戻りました。彼もすばらしい演奏家でレパートリーを知っていますし、最も適任だと思います。そして、幸運にも彼のスケジュールは空いていました!
 ナストゥリカ(第一ヴァイオリン)の代役を探すのは、正直困難でした。しかしリハーサルの休憩中に、ヴィオラのヴィルフリード・シュトレーレがこういうのです。「いま音楽大学でラティサと話したよ。」と。
 ラティツァ・ホンダ=ローゼンベルク教授!ベルリン芸術大学のヴィルフリード・シュトレーレの同僚です。彼女のような適任者をなぜ思いつかなかったのでしょう!奇跡的にも何とかスケジュールを調整することができました。
 忙しいメンバー達ですが、リハーサルを含め全てうまくいっています。
 この新たなメンバーとともに来日し、ツアーを実現することを私達はとても誇りに思っています。
 日本の聴衆の皆様にお会いできる事を楽しみにしております。

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エスコ・ライネ(ベルリン・フィル八重奏団コントラバス奏者)



≪ラティツァ・ホンダ=ローゼンベルクのインタビュー≫
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―ホンダ=ローゼンベルクさんとお呼びすればいいのでしょうか。日本語の性が混じっていますが、日本語は話されるのですか?
 私の父親は九州出身の日本人です。歌の勉強を続けるため、ドイツのデトモルトに留学したところ、そこでクロアチア人のチェリストの母と出会ったのです。子供の頃、父は私によく日本語を教えてくれ、私もよくしゃべったのですが、5歳の時、話し方がすっかり男口調になってしまっているのに気付き、恥ずかしくなってやめてしまいました。父は私が13歳の時に亡くなりました。母は仕事で家計を支えなければならないし、私はプロを目指して頻繁に外出していました。そういう困難な時期、日本の祖父母が頻繁にドイツに来て、本当によく面倒を見てくれました。彼らとのつながりは、私にとって非常に重要でかけがいのないものでした。今でも私の理想の存在です。母はクロアチア出身ですが、ユダヤ人でもあります。母方の祖父は、アウシュヴィッツを生き延びてクロアチアにやって来ました。
 私の出自はこのように複雑で、それもあって6カ国語(クロアチア語、英語、スペイン語、ロシア語、フランス語、ヘブライ語)を話すことができます。時々私は自分がどこに属しているのがわからなくなる時がありますが、日本に来るといつも日本との精神的なつながりを強く感じます(もっとも私の日本語は5歳の時のままですが)。日本の祖母は94歳になり、千葉の船橋で今も元気に暮らしています。頭の回転が早く、俳句の名手でもあります。

―昨年の来日では、姫路国際音楽祭で樫本大進さんと共演されたそうですね。
 
ええ、私と大進とは同じザハール・ブロン門下なのです。彼が9歳の時から知っていて、私の方が年長だったこともあり、彼のお母さんに頼まれて一緒に練習をしたりもしました。連絡が途絶えていた時期もありましたが、不思議な縁で私がフライブルクで教えることになった後、彼はクスマウル氏に学ぶため越して来ました。そして、私がベルリン芸大に移った1年後、今度は彼もベルリンにやって来たのです。彼は子供の頃からある意味全然変わっていませんね。愛すべき子供でしたし、いまも温かい心を持った人。よき友人です。

―音楽との出会いはどういうものだったのでしょう?
 
父がピアノ、母はチェロを弾いて、家でよく室内楽をやっていました。気付いた時に、私はヴァイオリン奏者の元にいつも足が向いていました。父は、「ヴァイオリンはいい音を出すまでに時間がかかる」というので強く反対していたのですが、私は他の楽器は全く頭にありませんでした。ヴァイオリンを始めたのは4歳の時です。
 私は今、才能に恵まれた子供にも教えています。「将来はひょっとしたら音楽家になるかもしれない。でも数学者になるかもしれない」と言う子もいますが、私にはまったく新しい考えです。私はとにかく最初からプロのヴァイオリニストになることしか考えていませんでしたから。

―ティヴォール・ヴァルガ、ザハール・ブロンという2人の名教師に学ばれていますね。
 
はい、ヴァルガ先生には、9歳から19歳までの10年間学び、それは私のもっとも重要な時代でした。もちろん基礎を教え込まれましたが、彼から学んだもっとも大事なことは、音楽への心からの献身です。彼は、当初から私を子供としてではなく、対等な一人の人間として見てくれました。私の父が若くして亡くなったこともあり、父親のような存在でした。その後ブロン先生の元で3年間学びましたが、こちらも非常に重要な時代でした。レッスンはとても厳しく、また集中的で、時に早朝や深夜に及ぶこともありました。彼からは表現の巧みさ、そして規律を学びました。
 2人とも偉大な教師でしたが、教え方や考え方は非常に対照的で、私の中でいくらか混乱がありました。そのため、ブロン先生の元を離れた時、その反動からか、私はちょっとした危機に陥りました。2人の偉大な教師から何を学び、何が欠けていて、自分にとっては何が一番重要なのか、何をどう表現すべきなのか。そのことにじっくり向かい合った上で、2つの大きなコンクールを1人で受けに行きました。その結果、チャイコフスキー・コンクールで2位、ドイツ音楽コンクールで優勝することができました。特に後者の結果は、私にとって非常に重要でした。
 それからは、自分の生徒も持つようになりましたが、私が今に至るまで大事にしているのは、ヴァイオリンという楽器ではなく、音楽そのもの、音楽という神秘、音楽の真実を経験することです。そのためのもっとも素晴らしい機会は、卓越した音楽家と一緒に音楽をすること。他人の意見に耳を傾け、考えを交換し、心を開いた状態にしておくこと、それを学ぶ最高の場が室内楽なのです。ですから、今回ベルリン・フィル八重奏団と共演できるのを大変楽しみにしています。

―ベルリンでのリハーサルの様子はいかがでしょう?
 
それはもう信じられないぐらい楽しいです。私は紅一点。5日間で全7曲を演奏することになっており、なかなか大変ですが、私はいつも新しい挑戦を楽しんでいます。今日本が大変な状況で、海外の多くの音楽家がキャンセルをしている状況は知っていますし、彼らの心境もよくわかります。しかし、私は今回の出演のお話をヴィオラのシュトレーレさんからいただいた時、自分の中の日本とのつながりを大事にしたいと思いました。
 実は、震災後の間もない中、ドイツにいる音楽家の間でも日本のために何かできないかということになり、facebookの呼びかけもあって、日本人によるオーケストラが結成されることになりました。大植英次さんが指揮をしたシュトゥットガルトでのチャリティーコンサートで、私はソリストとしてメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾いたのですが、それは私が今まで経験した中で、もっとも美しい種類の音楽でした。1人1人の心がそこにはありました。そんなに多くのお金を日本に送れる訳ではない、でも何かしたい。自分たちができるのは音楽。コンサートの時、絶望と希望が交錯していました。本当に助けたいという思い。溢れてくる涙。普通オーケストラのリハーサルというのは、例えば10時に始まって、13時には家に帰れる、という快適なものですが、あの時は誰もが命を懸けて音楽していました。本当に特別な雰囲気で、私は忘れることができません。この夜、16000ユーロの義援金が集まりました。

―日本の皆さんへのメッセージをお願いします。
 
私は日本の祖父母とのつながりが深いこともあって、心は全ての点で日本にあります。今回の来日公演で皆さんにお目にかかれるのを楽しみにしています。最後に私の名前のことで少しお話しさせてください。
 プロフィールではラティツァ・ホンダ=ローゼンベルクになっていますが、元々の名前は愛・ラティツァ・ホンダです。子供の時、Aiはドイツ語で「卵」のEiと発音が同じことから、学校で級友にからかわれたことがあり、それ以来クロアチア名の「ラティツァ」に変えたのです。本当にそれだけの理由で、私のもっとも重要な時代に「愛」という名前を使いませんでした。私の家族や親友などは今でも私をAiと呼びます。音楽家のプロフィールで使っている「ラティツァ・ホンダ=ローゼンベルク」には、クロアチア名、日本名、そしてユダヤ人の典型的な名字である「ローゼンベルク」という私の3つの出自が示されていて、これはこれで大事です。ですが、日本で「ラティツァ」と呼ばれるとどうしても違和感を感じてしまいます。日本の皆さんには、ぜひ「愛さん」の方で呼んでいただきたいですね(笑)。

インタビュー:中村真人(ベルリン在住)


2011年6月27日(月) 19時開演 東京オペラシティコンサートホール

<曲目>
モーツァルト:ホルン五重奏曲 変ホ長調 K.407 (ホルン:シュテファン・イェジェルスキ)

モーツァルト:クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581(クラリネット:ヴェンツェル・フックス)

ベートーヴェン:七重奏曲 変ホ長調 Op.20 

詳しい公演情報などこちらから

posted by Japan Arts at 20:39| ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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