2012年06月12日

ミハイル・プレトニョフ ただならぬ《たおやかさ》(文:東京フィルハーモニー交響楽団 ソロ・コンサートマスター 荒井 英治)

文:東京フィルハーモニー交響楽団 ソロ・コンサートマスター  
   荒井 英治 Eiji Arai

 ミハイル・プレトニョフとは誕生日が8日しか違わない同い年である。だからこそ私には信じがたいこと。あの落ち着き払った物腰、あの冷静さ、そして何より、あのしたたかさ。
 東京フィルとの出会いは1990年の秋のベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番のソリストとしてであった。
 ここで、ピアニスト・プレトニョフについて述べないことには、先には進まない。
 端的に言うならば、それは『異形の美』と言える。プレトニョフの音色は美しい。しかしながら、自己陶酔的な耽美さとは異なる。代わりに、秤で量ったようにコントロールされた音からは緊張感が立ちのぼり、聴き手を金縛りにしてしまう。

 ベートーヴェンの第3番がそうだった。協奏曲では、音楽の中のドラマの主人公を演じるのがソリストだ。いわば作曲者の葛藤や超克を追体験しようとする。
 しかしプレトニョフはいささか異なる。作品の表ではなく裏へ回って光を当てる。結果、聴き慣れているはずのものは異化され現れることになる。

 作品の裏へ回ることは、作曲家が拾った創造の源泉をかいま見ることだ。しかしそこは危うい領域でもある。ある創造に伴う『狂気』としか名付けようのないものが潜んでいるに違いないから。しかしプレトニョフは『源泉』を透視しようとする。
 
このことは指揮者・プレトニョフを考えるときにも全く同じだと思える。私が指揮者としてのプレトニョフと初めて共演したのはベートーヴェンの『運命』ある。

 ……衝撃だった。イメージを刷新する、どころの話ではない。何か、音で聴き手に問い掛けていくような演奏だった。リスキーなことを厭わずに、いや、リスキーなことをあえて求めていたのかもしれない。

 あの冒頭の有名な4音から成る動機は2回でひとつ、つまり5小節でひとまとまり、と考えるのが常識である。 しかしプレトニョフはそれを引き離してしまう。ゆっくりなテンポで大時代的な表現だったら、その空白は逆に合点がいくかもしれない。しかし彼はあくまでも端正に動機を扱う。結果、ふたつの動機の間には音のない隙間が息の詰まるような緊張で空間を支配する。いきなり現れる亀裂。
 ほかにも間の取り方、テンポの急激なギアチェンジなど、人工的なルバートに満ちていた。当然、オーケストラは異様な緊張感が支配する。人工的、いや言い方を変えよう。《作為的》。しかしここではむしろ肯定的な意味で使いたい。ベートーヴェンの音楽は《運命》に限らずとも作為に充ちている。不自然な展開、予想外のハーモニー、それを取り除いたら何が残るだろうか。意表をつくこと、それはベートーヴェンの音楽に限らず芸術の本質である。作品とは構築である。いや、構築〜解体〜再構築のプロセスである。そうして聴く人間の潜在意識を引きずり出していく。

 さて、自然な表現、とはなにか? プレトニョフは答えるだろう。「怠惰なだけだ。」と。
 『運命』に戻せば、第1楽章は構築と取り壊しの絶え間無い作業の音楽である。いたるところに現れる亀裂。プレトニョフはそれを克明にしてくれた。

 プレトニョフの音楽性のカギは《虚無的な間合い》と《非情さの疾走感》だ。疾走感もすばらしかった。《第九》の第2楽章やシベリウスの《レミンケイネンの帰郷》など。あたかも、目的も持たずにひたすら駆け巡る(バスター・キートンのように!)疾走感には鳥肌が立つ思いだった。

 さて、彼のリハーサルは正確さを追求するような厳格なものではない。しかし指揮には迷いはないし、いわゆる《魅せようとする大仰な振り方》はかいま見られない。作品を的確に捉えている証拠であろう。10のうち、6を示し、残りの4は演奏者が理解し、埋めていくもの、と心得ているかのようだ。
 だからこそ、辛抱強く穏やかを失わず、肩肘張らずに自然体であるのかもしれない。淡々としたミドル・テンションの状態が維持される。……それにしても、生身の人間が何十人も集まって音楽と格闘している現場の中心にあって、感情が掻き乱されずにいられるなんて……!!


 プレトニョフにインタビューを試みた際に言った言葉が忘れられない。「作品はつねに新しい光を当てようとしなければ、だめだ。でなければクラシックは滅びてしまう」。

 彼は聴き手を挑発する意図があるのか、わからない。しかし、音そのものを凝視し、その裏側に肉迫する。

 指揮者・プレトニョフは私たちを震撼させる。そのただならぬ《たおやかさ》を享受しなければならない。なぜなら、私たちは過去に向かって生きるのではないのだから……!

※ 本稿はロシア・ナショナル管弦楽団販売用プログラム内からの抜粋です。

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荒井 英治(あらい・えいじ)
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1957年生まれ。桐朋学園大学に学ぶ。新星日本交響楽団、東京交響楽団のコンサートマスターを経て、89年より東京フィルハーモニー交響楽団のソロ・コンサートマスターを務める。日本を代表する弦楽四重奏団モルゴーア・クァルテットのメンバーであり、ソリストとしても活躍。CDリリースも多数。

【プレトニョフ×荒井英治 共演情報】
指揮:ミハイル・プレトニョフ コンサートマスター:荒井英治 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
■2013年3月13日(水)19:00 サントリーホール ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番(独奏:小川典子) ラフマニノフ:交響曲第2番
■2013年3月14日(木)19:00 東京オペラシティ ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番(独奏:小川典子) ラフマニノフ:交響曲第2番
■2013年3月17日(日)15:00 オーチャードホール プレトニョフ:ジャズ組曲 グラズノフ:バレエ音楽「四季」 ほか
問合せ:東京フィルハーモニー交響楽団(03-5353-9522)



プレトニョフ指揮 ロシア・ナショナル管弦楽団 2012年日本公演
2012年6月15日(金) 19時開演 東京オペラシティ コンサートホール
 ヴァイオリン:樫本大進
2012年6月23日(土) 14時開演 横浜みなとみらいホール
 ピアノ:河村尚子
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公演の詳細はこちらから
posted by Japan Arts at 15:48| 聴きに行こう!オーケストラPR | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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