2009年12月02日

12/1マリインスキー歌劇場管弦楽団の曲目についてお知らせ

12月1日(火)サントリーホールにおけるゲルギエフ指揮 マリインスキー歌劇場管弦楽団の演奏会で最初に演奏された作品は、プログラムにショスタコーヴィチ:歌劇「鼻」より第2幕の間奏曲と掲載しておりましたが、実際には第1幕の間奏曲が演奏されました。
ここにご報告申し上げます。

マリインスキー歌劇場管弦楽団の詳細

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2009年07月24日

樫本大進ベルリン・フィル、コンサートマスター内定記者会見 レポート

本日(7月24日)、9月1日からベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第一コンサートマスターに内定しているヴァイオリニストの樫本大進が記者会見を行いました。 P7249203  「今日はたくさんの方々にお集まりいただき、ありがとうございました」と、折り目正しく挨拶をした樫本大進。「昨日ドイツから帰国したばかりなので、少し眠い顔をしていてごめんなさい・・・でも、こんなに多くのカメラに驚きました!少し緊張しています。ベルリン・フィルという、僕自身が小さいころから大好き、凄いと憧れていたオーケストラのコンマス(コンサートマスター)になるチャンスを与えられた、ということが本当に嬉しいです。新しい人生が始まる気がします」と、会見がスタートしました。 会見で行われた質疑応答の模様から一部をご紹介します。 Q:内定おめでとうございます!オーディションを受けられたとのことですが、合格したことを知ったときはどんなお気持ちでしたか? A:嬉しい・・・というよりも凄い、うぉーという気持ちで・・・そのうちにオーディションに来ていた団員の方々が50人くらいお祝いを言いにきてくれて、もう何か何だかわからない、とにかく嬉しいという気持ちでした。 その喜びを実感できたのは、次の日だったように思います。 Q:9月からはまだ試用期間ということですが、これはどれくらいの期間なのでしょうか? その期間が人によって違うということもあるのでしょうか? A:誰でも2年間です。ただ、1年経ったくらいから、メンバーたちの間の雰囲気でだいたい判ってくる・・・ので、いろいろな年数が言われるのですが。正式には2年です。 Q:ところで、今おいくつですか? A:今年の3月に30歳になりました。 Q:第一コンサートマスターというポジションは、今まで安永徹さんが務めていらしたのですが、何かお話されましたか? A:安永さんには、今までに数回しかお会いしたことがないのです。オーケストラのメンバーと話していても、安永さんが演奏面でも人間としても尊敬されています。ぜひ今回帰国している間にお会いできれば・・・と思っています。 P7249100 Q:今までソリストとして活躍なさっていて、ベルリン・フィルのコンマスに内定ということで、ソリストとしての活動が制限されるのでは・・・という声もありますが。。。 A:ベルリン・フィルには第一コンサートマスターが3名(編集註:そのうちの1人に樫本が内定しています)いますので、すべてのベルリン・フィルのコンサートに出演しなくてはいけない、ということではないのです。スケジュールの調整はもちろん必要ですが、ソリストとしての活動が制限されるということを心配する気持ちはありません。 むしろ、素晴らしい指揮者、素晴らしいソリスト、何よりも素晴らしい仲間たちと音楽を作り上げるという経験が、ソリストとして、というよりも音楽家としての僕に大きな影響を与えてくれると思います。そうであって欲しいし、そうなるようにしていきたいと思っています。 来年2月に行う、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータの全曲演奏会は、僕にとって長い間考えていた大きなプロジェクトで、本当にチャレンジング、わくわくしています。 Q:ベルリン・フィルとの活動で、どんなことを楽しみにしていますか? A:まずはソロ活動だけでは演奏できない、例えばブルックナー、ブラームス、ベートーヴェン、リヒャルト・シュトラウスなどの交響曲を演奏できるのが楽しみです。この前はワーグナーの「神々の黄昏」をピットの中で演奏しましたが、これも初めてのことでした。今までも大好きなオーケストラなので、コンサートホールやCDで何回も何回も演奏は聴いてきましたが、やっぱりオーケストラの中に入って演奏する、ということでものすごく大きなものを僕自身得ることができていると思います。 また、“ヴァイオリン協奏曲”を別の側面から演奏できることも楽しみにしています。 他にも多くのご質問を受け、来年2月に予定されているリサイタルのポスターの前でフォト・セッションを行い、会見は終了いたしました。 P7249221 今までの充実した活動を行ってきた樫本が、またひとつ大きなチャンスを得て、さらに音楽家として成長していく様子を、これからもご注目ください! 詳細はこちらから

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2009年04月17日

掲載情報:マエストロ・ルイジなどのインタビュー

音楽ジャーナリストの林田直樹さんのブログにマエストロ・ルイジのインタビューとシュターツカペレ・ドレスデンの楽員代表ヨハヒム・ハンス氏(首席ファゴット奏者)と、ドラマトゥルクのトビアス・ニーダーシュラーク氏のインタビューが掲載されています。

演奏曲目の決定についてなど、興味深い内容となっています。
http://linden.weblogs.jp/blog/

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より一体感を増すルイジとシュターツカペレ

 4月6日にドレスデンでルイジ指揮のシュターツカペレ・ドレスデンを聴いた。
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金曜から3日間の演奏会は「棕櫚の主日(枝の主日)」コンサートと題され、4日はフラウエンキルヒェ(聖母教会)、復活祭の一週間前の日曜「棕櫚の主日」と翌日はゼンパー歌劇場で開催された。曲目はそうした催しにふさわしいフランツ・シュミットの「7つの封印の書」。
 オーストリアのフランツ・シュミット(1874−1939)の作品は、ルイジがリヒャルト・シュトラウスとならんで、もっとも得意としているレパートリー。代表作「7つの封印の書」は1938年に初演されたこの作品は、新約聖書のなかで唯一、預言書的な内容を持つ「ヨハネによる黙示録」に基づく。
 大規模なオーケストラと6人の独唱、大合唱にオルガンが加わった壮大なオラトリオ。
シュミットはオルガン、ピアノ、チェロを学び、15歳でウィーン宮廷歌劇場のチェロ奏者となり、作曲家としても大きく頭角を現した人。
 後期ロマン派の様式を踏襲した作風から出発するものの、晩年の「7つの封印の書」に至って教会の典礼の枠を超えた自由な形式に到達、旧来、音楽の題材として選ばれなかった「ヨハネによる黙示録」を素材に宗教音楽の新たな世界を切り開く。
 シュミットはマーラーが宮廷歌劇場の監督をつとめたほぼ10年をオーケストラ奏者として体験した。随所にちりばめられたオーケストラの多彩な劇的表現にはその影響が認められるとともに、和声を師事したブルックナー、さらにはバッハやベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブルックナーなどの痕跡もみられる。
 このように壮大で緻密な複雑な音世界を表現するのは並大抵ではない。スコアに対する鋭い読みとともに、幅広い音楽に通暁している必要があるからだ。
さらにはドイツ語のテキストに対する微妙な表現が求められるのは言うまでもない。

Luisi_hp  演奏はルイジがその数少ない最適任者であることを再認識させる堂々としたもの。
ルイジは中部ドイツ放送響時代の2004年に録音しており、今回の主要なソリスト、ヘルベルト・リッペルト、ヤン=ヘンドリク・ローテリング、アネッテ・ダッシュはその時と同じメンバーである。
 演奏の出来は録音とはやはり格段の違いがあった。ルイジの精妙きわまる表現にオーケストラは機敏に反応し、移りゆく情景を鮮やかに表現。2部からなりプロローグとエピローグを合わせて2時間近い音楽を全く弛緩させることなく、細やかな表情と思いきった感情の爆発を織り交ぜて表現ししていく様はまさに壮観。管楽器のまろやかな響きもこのオーケストラならでは。ルイジはそうした個性を生かしながら、まるで虹色の光沢を放つようなユニークさをたたえたこの作品が、深い宗教感情に根ざしたオラトリオであることを示した。独唱、合唱の水準の高さも称賛に値するが、やはり真の主役はシュターツカペレというべきだろう。細部まで磨き抜かれた凛とした佇まい、精妙なアンサンブル、多彩さを秘めながら統一感をあわせもつ音色の美しさは譬えようもない。2007年から首席指揮者をつとめているルイジがこの長い伝統を誇り、それゆえに扱いにくいところもある名門をすっかり掌中に収めたことを実感させた。
 ルイジはシュターツカペレとともにリヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲を次々と録音しており、リリースされた「英雄の生涯」、「アルプス交響曲」、「ドン・ファ ン」、「ドン・キホーテ」どでもその好調ぶりを如実に印象付けている。言うまでもなくシュターツカペレ・ドレスデンはシュトラウスの名作を数多く初演してきたオーケストラ。その持ち味をありのままにいかし、そこに現代的な息吹をふき込むルイジのシュトラウスは折り紙付きだ。そうした彼らならではの逸品を携えて間もなく来日する。

 楽屋口でマエストロに挨拶した。すると「音楽のよき理解者である日本の観客と再会するのが楽しみ」と答えてくれた。エルベ河畔のフィレンツェと謳われるドレスデンの美しい夜景のなか、彼が颯爽と帰途に就く様も絵になっていた。
(音楽評論家 岡本稔) 

公演の詳細はこちらから

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2009年04月16日

 「リヒャルト・シュトラウスとドレスデン」

リヒャルト・シュトラウスの「たくましい」個性と魅力
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19世紀後半から20世紀前半にかけてのドイツ。この百年は、ドイツのみならずヨーロッパ全土で、頻繁な政体の変化が立て続けに起きた稀有の期間だった。その百年に呼応するように、1864年(元治元年)に生まれ、1949年(昭和24年)に没した、85年の生涯を駆け抜けたドイツの作曲家、リヒャルト・シュトラウス。彼こそは、こうした激動の歴史の生き証人である。
シュトラウスがミュンヘンに生まれたとき、同地を治めるのはバイエルン王国だった。夢の城・ノイシュヴァンシュタイン城を造らせた、かの有名なルードヴィヒ2世が即位した年である。その後、プロイセン王国による統一ドイツ帝国の成立(1871年)、第一次世界大戦後に成立したヴァイマール共和国(1919年)、ヒトラーによる第三帝国(1933年)、戦後の連邦共和国(1945年)という、実に5回もの政体の変遷を経験しながら、シュトラウスは強く、たくましく生き抜いた。
筆者なりに、リヒャルト・シュトラウスという人物、そしてその音楽の魅力を一言で要約するならば、それはこの時代を生き抜いた人間が併せ持つ、この「たくましさ」という言葉に尽きるような気がする。豪放磊落で、細かなことを気にしないバイエルン人の気質。寒さの故か、どこか東北弁を思わせるドイツ語の訛りもあいまって、軟弱な知識人とは一線を画すシュトラウスの個性は、まさにこの南ドイツの風土と、激動を繰り返す社会情勢によって培われたものであった。
作曲家にありがちな、浮世離れした感性とは全くの無縁だったシュトラウス。作曲や指揮に当たってはその報酬を詳細に至るまで確認した。芸術に奉仕する音楽家にあるまじき守銭奴ぶり、と非難されれば、「家族を養うための当然の権利」とやりかえす。仕事の合間には、スカートと呼ばれるトランプ・ゲームで遊ぶことを何よりも好んだ。シュトラウスの真骨頂は、こうした自分のありようを、その長所・短所を含め、第三者の視点から客観的に眺めることができたことだろう(60歳のシュトラウスは、こうした自分と妻の肖像を、《インテルメッツォ》というオペラで、全く美化することなく、ありのままに描き出している)。


リヒャルト・シュトラウスと「交響詩」

Dresen_photo001_2一般的に、シュトラウスがその前半生、20歳代から40歳代にかけて生み出したオーケストラ曲の数々は、「交響詩」というジャンル名で呼ばれる。19世紀中頃にフランツ・リストによって生み出された交響詩では、文学や絵画で描かれる具体的なストーリーが、言葉の助けを借りずに、音楽の力だけで描かれる。19世紀末、このジャンルを完成の域へと高めたのが、リヒャルト・シュトラウスだった。描かれる世界の内容をあらかじめ知った上で曲に臨めば、その雄弁に語りかけてくる音楽の巧みさには、誰もが舌を巻くはずである。
そして、シュトラウスならではの「たくましさ」は、まさにこの題材の選択の基準にこそ現れているように思う。シュトラウスは、友人への手紙に以下のような言葉を遺している。

「なぜ自分自身に関する交響曲を書いてはならないのでしょう。私は、ナポレオンやアレクサンダー大王に対して持つような興味を、自分自身に感じているのです。」

実際、シュトラウスは自分自身を交響詩の題材に取り上げ、いくつもの曲を作った。今回の演奏曲目で言えば、自らを英雄に擬(なぞら)え、敵(評論家)との戦いや伴侶(妻)との愛情を描いた《英雄の生涯》、あるいは自身の山登りの体験を元に、山での一日の様子を描いた《アルプス交響曲》などが、そうした作品の例に挙げられよう。また、スペインの有名な漁色家をテーマにした《ドン・ファン》、ドイツの有名な昔話を元にした《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》、あるいは哲学者フリードリヒ・ニーチェの代表作を題材に取った《ツァラトゥストラはこう語った》といった作品を作曲する時も、シュトラウスはその時々の自身の状況や思想を巧みに曲に取り入れ、自身が心から共感できるような主人公を曲の中で活躍させている。いわば、シュトラウスはその若いときから、こうした交響詩で、醒めた視点から「自画像」を描き続けてきたのだ。
シュトラウスは当時としては大胆きわまりない作曲技法を用い、大オーケストラを駆使した作品を手がけた。その一方、音楽は純粋なものであるべきで、自分を描くための道具に用いるのは不遜である、という批判も受けた。だが、シュトラウスはその種の批判に決して屈することはなかった。画家は自画像を描けるのに、なぜ作曲家がそれを音楽でやってはならないのか、と。そして、シュトラウスがこの種の自画像を描いたときこそ、その音楽は聴き手の心へと訴えかける強い説得力を得たのである。
まじめ一徹のグスタフ・マーラーなどは、こうしたバイエルン人・シュトラウスの特異なパーソナリティを、本当の意味では理解できなかったようにおもう。音楽以外のことには万事不器用で、社会性を欠き、人の世でうまく立ち回ることができなかったアントン・ブルックナーなども、シュトラウスとは対極にある人間であろう。シュトラウスが遺した交響詩やオペラ作品とは、ひとえにこの人物が持ち合わせていた「たくましさ」が、芸術の形へと昇華したものなのである。


シュトラウス、ドレスデン、ルイージをつなぐ縁(えにし)
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17世紀に成立した世界最古のオーケストラ、ドレスデン・シュターツカペレ。このオーケストラがヨーロッパに冠たる名声を誇るようになるのは、19世紀前半にカルロ・マリア・フォン・ウェーバーやリヒャルト・ワーグナーが宮廷楽長を務め、数多くのオペラを上演するようになってからの話である。19世紀後半に音楽総監督を務めたエルンスト・フォン・シューフがドレスデン歌劇場に与えた最も大きな貢献は、当時音楽界で名を成していたリヒャルト・シュトラウスに声をかけ、そのオペラをこの地で数多く初演するように導いたことだった。
シュトラウスは主に50歳代以降にオペラを量産し、全15作のうち9作が、このドレスデン歌劇場で初演されている。この9作には、《サロメ》(1905年)、《エレクトラ》(1909年)、《ばらの騎士》(1911年)、《アラベラ》(1933年)等、現在も歌劇場の通常レパートリーの中核を成すほとんどの主要作品が含まれる(《アルプス交響曲》(1915年)もシュターツカペレ・ドレスデンが初演した)。シュトラウスも、世知辛い聴衆や評論家に溢れたウィーンやベルリンで自作を初演されるのを好まず、新しい作品を暖かく迎え入れるドレスデンの聴衆を心から愛していた。20世紀初頭、シュトラウスはベルリンやウィーン歌劇場の音楽監督を務めていたために、ドレスデン歌劇場の役職に就くことはなかった。しかし、同地から授けられた名誉市民号は、シュトラウスをことのほか喜ばせたと言われている。作曲家とドレスデンの地、そしてそこに集う聴衆とを結びつけたのは、仕事上の利害関係ではなく、そのオペラを介した純粋な愛情であったのだ。
2007年にドレスデン国立歌劇場の音楽総監督、シュターツカペレ・ドレスデン(同歌劇場の管弦楽団)首席指揮者に就任したファビオ・ルイージ。この地の監督を引き受けることは、19世紀以来、連綿と受け継がれてきたこのドイツ・オペラ、そしてリヒャルト・シュトラウスのオペラの伝統を継承し、未来へと受け渡していく重責を担うことに他ならない。ルイージは、2007年の同歌劇場との来日公演で、《サロメ》《ばらの騎士》の名演を聴かせ、プレッシャーを跳ね返し、この重責を見事に果たした。ビロードのようになめらかな弦楽器の音色で、作曲に当たってシュトラウスが思い描いた音楽の世界を再び蘇らせたのである。
シュターツカペレ・ドレスデンは、今は亡きジュゼッペ・シノーポリと1998年に来日し、同じシュトラウス作品で名演を聴かせている。ルイージは、今再び、十年ぶりにリヒャルト・シュトラウスの交響詩を取り上げ、日本の聴衆にその真価を問おうとしている。一期一会の、シュトラウスの「たくましさ」を彷彿とさせる名演に巡り会える機会を楽しみに、筆者も今年のゴールデンウィークは、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏会に通い詰めるつもりである。

広瀬 大介(音楽学・音楽評論家)

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