協調性とバランス感覚〜バイエルン放送交響楽団の「今」
城所 孝吉(音楽評論・ベルリン在住)
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バイエルン放送交響楽団(BRSO)は、筆者には今ドイツで一番「うまくいっている」オーケストラのように思われる。うまくいっているというのは、首席指揮者と団員の関係が良く、マネージメントとの連携が円滑に行われ、芸術的に上り坂にあるという意味である。つまりひとつの団体として、総体的に良い状態にあるということだが、これは当然のようでいて、実際には必ずしも頻繁にあることではない。例えば首席指揮者と楽団の関係がアンバランスなオーケストラは、音楽的にも人間的にも機能しない。また指揮者がマネージメントを信頼せず、管理部門と小競り合いを演じるような環境では、良い演奏は生まれてこないのである。
これに対して、BRSOではすべてがうまくいってると言える。まず首席指揮者が手兵たるオケに全幅の信頼を寄せ、きわめて友好的な関係を実現している。当連載の第1回でマルシック氏(オーケストラ代表)が語っているように、ヤンソンスとのコンタクトは「非常にフェアで、人間的」。彼は単に音楽上の権威としてではなく、団員から愛され、人として深く理解されているのである。同時に両者は、音楽的にまったく対等の関係にある。オーケストラとは不思議なもので、指揮者との力が拮抗していない場合、必ず問題が起きる。つまり音楽的に弱い指揮者は優れたオケになぎ倒され、逆に力不足なオケは大指揮者の高い要求に応えられないのだ。しかしヤンソンスとBRSOは、この点でまさに完璧なバランスを示している。BRSOは昨年『レコード芸術』誌で世界第4位のオーケストラに選ばれたが、ヤンソンスの音楽を受け止め、その意を汲んで演奏することのできる最適のオケと考えられるのである。
マネージメント上でも、新オーケストラ・マネージャーのシュテファン・ゲーマッハー氏は、ヤンソンスが希望した人材と言われ、関係は良好。広報やプランニング部門との連携も実にスムーズである。しかし何よりも重要なのは、そうした状況から生まれてくる音楽が、第一級だということだろう。ヤンソンスとBRSOの芸術的アプローチは、近年よく見られるコンセプト型のものではない。新種の奏法(古楽奏法等)を標榜するわけでもなければ、特殊なレパートリーや改訂版の使用によって独自性を打ち出すわけでもない。しかしその質、仕上がりときめの細やかさは、ベルリン・フィルさえも凌駕すると言えるだろう。いや、むしろ次のように表現した方が良いかもしれない。現在のベルリン・フィルがワイルドで自意識の強いソリスト集団であるとすれば(=表現意欲は絶大だが、足並みが乱れる側面がある)、BRSOは個々の能力の高さもさることながら、互いに緊密な協調性を見せる「チーム」なのである。そしてその特性は、間違いなくヤンソンスの愛すべきキャラクターに発している。マルシック氏は彼との関係を「権威と友情のミックス」と呼んでいるが、ヤンソンスは巨匠時代の高圧的な絶対君主とは無縁の存在である。団員の手を取り、自らの進む道へと導いてゆく良き先導者なのだ。彼らの音楽が、高いバランス感覚と豊かさに満たされているのは、他ならぬこのコーオペラティヴで円満な関係ゆえなのである。
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2009年10月06日
バイエルン放送交響楽団連載記事 ― 第4回
2009年09月30日
バイエルン放送交響楽団連載記事 ― 第3回
シュテファン・ゲーマッハー(オーケストラ・マネージャー)、インタビュー
城所 孝吉(音楽評論・ベルリン在住)
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シュテファン・ゲーマッハー氏は、昨シーズンよりバイエルン放送交響楽団(BRSO)の総責任者を務めている。ベルリン・フィルのプランニング部門で活躍し、ヤンソンス希望でミュンヘンに移った気鋭の音楽マネージャーである。ここではBRSOの活動と、新ホールの建設案について語っていただいた。
――まず、ゲーマッハーさんのお仕事の内容をご説明いただけますか。
「私の役職は、マネージメント上の総責任を担う立場です。コンサートのプログラミング、客演指揮者、ソリストの選別、楽団員のケア、ツアーのプランニング等、オーケストラの実際的な運営を行います」
――最初のシーズンをどのように体験しましたか。
「一番印象的だったのは、シーズン最初の演奏会でした。ヤンソンスの指揮でイェルク・ヴィットマンの新作が演奏されたのですが、リハーサル第1日にオケが見せたフレキシビリティ、演奏能力に魅了されました。ご存知の通り現代曲というのは、練習にたいへんな時間が掛かります。オーケストラが指揮者の指示を一瞬にして実現してゆく様には、開いた口が塞がりませんでした」
――ゲーマッハーさんは、ヤンソンスさんと懇意だそうですね。
「彼に初めて会ったのは、1997年のことです。当時私は、ザルツブルク音楽祭でベルリン・フィル関係のマネージメントを担当していました。私がベルリンに移った後もお付き合いが続きましたので、その経緯で今回お仕事をお受けすることになりました」
――ベルリンではサイモン・ラトルのもと、ラディカルなプログラム構成を実現なさいました。そこでは20世紀音楽の割合が60%を占め、しかもそれが普通のプログラムにちりばめられていました。
「BRSOには、ムジカ・ノーヴァという現代音楽専門のシリーズがありますが、ヤンソンスはすでに定期の枠で現代ものを指揮しています。20世紀の作品の割合も増えていますから、ベルリン・フィルと比べて遅れているとは思いませんし、実質的に同じ方向にあると考えられるでしょう」
――ベルリンと比べた場合、ミュンヘンの聴衆の特徴は何だと思いますか。
「核になる部分は変わらないと思います。つまり定期会員のシニアですね。教養文化に関心がある世代で、比較的富裕な層ですが、これはベルリンでも同じでしょう。ベルリンの場合は、一回ごとのチケットを買う層がもう少し若いですね。ただミュンヘンでは、定期会員に若い人が増えているのです。ベルリンにはない、面白い傾向です」
――BRSOは、新しいホール建てる構想をお持ちですね。ヘルクレスザールの何が問題なのでしょう。
「一番の問題は、ホール自体の容積が小さいことです。マーラーや大規模な合唱曲をやると、音が割れてしまいます。客席数も1200席と、かなり少ない。BRSOのコンサートは売切れになることが多いので、お客さんの方で来たいという気持ちがあっても、切符が手に入らないのです。」
――現在、オペラの裏のマルシュタール(旧王宮付き厩)を改造してホールにするという案があります。
「厩はホワイエを入れるために利用するのであって、実際のホールは現在空き地になっているところに建てます。面積の上で問題はありません。」
――歴史的建造物に対する規制はないのでしょうか。
「現状ではそういうことになっています。いずれにしても問題は、我々がホームグラウンドを持っていないことです。ヘルクレスザールは確かに主な演奏会場ですが、我々専用のホールではありません。BRSOはこのところ国際的評価を高めていますが、バイエルン州もそれを承知していますので、今建てるのが好機だと思います。」
Photo:BR Astrid Ackermann
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2009年09月25日
バイエルン放送交響楽団連載記事 ― 第2回
ルツェルン音楽祭でのヤンソンス&バイエルン放送交響楽団
城所 孝吉(音楽評論・ベルリン在住)
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ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団が、この春ルツェルン・イースター音楽祭に客演した。ルツェルン音楽祭というと、一般には夏のフェスティヴァルが有名だが、イースターの時期(例年3〜4月)にも、まとまった演奏会が行われる。バイエルン放送響は、例年ここでオーケストラ・イン・レジデンスを務めており、今年もその枠で2回の演奏会が行われた。夏のメイン・オーケストラがルツェルン祝祭管だとすれば、春にその役割を担うのがバイエルン放送響であろう。
ルツェルンは、チューリヒから南西に車で50分ほどの中都市で、湖に面する瀟洒な町である。チューリヒと似た外観を持ち、アルプスの玄関口という趣がある。フェスティヴァルは以前から存在するが、2003年にアバドが祝祭管を設立してから、急速にヨーロッパ随一の音楽祭へと成長した。今回のバイエルン放送響のコンサートは、ハイドン「序曲ニ長調」、モーツァルト《リンツ》、チャイコフスキー「交響曲第4番」(4月4日)、ドビュッシー「《牧神の午後》への前奏曲」、ストラヴィンスキー「詩篇交響曲」、ハイドン《ハルモニー・ミサ》(5日)というプログラム。2日目は、バイエルン放送合唱団がわざわざミュンヘンから随行し、豪華な演奏会となっていた。
実は筆者は、今回のコンサートまでヤンソンス&バイエルン放送響の演奏を、長い間聴いていなかった。彼らは今まさに旬のコンビで、昨年は英《グラモフォン》誌で世界第6位のオーケストラに選ばれている。しかしそのように騒がれると、どうしても斜に構えたくなるのがアマノジャクたる評論家の性分。それゆえ筆者は、内心かなりクリティカルな視点をもって初日のコンサートに臨んだ。ところが、である。冒頭のハイドンから、楽団の士気が並の水準ではない。フレーズに生気がみなぎり、音楽が踊っている。それは感情が横溢し、幸福感に満ちた2曲目のモーツァルトでも同様だった。休憩中、この印象を全面的に受け入れるべきかしばし考えたのだが、ためらいは後半のチャイコフスキーで完全に確信に変わった。とにかく集中力が高く、音楽にブレがない。そしてほとんどまったくと言っていいほど、演奏に傷がないのである。しかも「安全運転ゆえに事故が起きない」のではなく、フェラーリが200キロ出しても安定した走りを見せるような「高性能ゆえの完成度」が感じられる。正直なところ、ベルリン・フィルを越える仕上がりだと思った。
この印象は、翌日のドビュッシーでも同じである。気だるく熱を帯びた午後の空気、さざめく風の音が、演奏からはっきりと浮かび上がってくる。和音の微妙な色合い、めくるめく転調の波が手に取るように分かるだけでなく、それがひとつの絵画的な情景を結んでいた。恐るべき集中力と、ポエジーへのセンス。これは筆者がこれまでに聴いた《牧神》のベストであったと思う。楽屋にヤンソンスを訊ね、「世界中のどこを探しても、なかなか聴けない水準でした」とお祝いを言うと、彼は意を解したとばかりに「ベルリンに住んでいるあなたがそう言うんですか?」と笑った。しかし筆者の発した言葉は、その場の雰囲気に合わせたお世辞ではない。ヤンソンスとオーケストラの演奏に魅せられた、まぎれもない本心だったのである。
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2009年09月08日
バイエルン放送交響楽団連載記事 ― 第1回
ベルリン在住の音楽評論家、城所 孝吉さんからオーケストラの代表者にインタビューして頂きました。
今回より5回にわたり、バイエルン放送交響楽団の「現在」について、エッセイやインタビューを連載してゆくことにする。初回にご登場いただくのは、オーケストラ代表のアンドレアス・マルシック氏(Va)とヴェルナー・ミッテルバッハ氏(Ob)。オーケストラ代表とは、首席指揮者やマネージメントがオーケストラと話し合う場合に、窓口となる団員のことだが、楽団全体のまとめ役として機能することもある。本稿では、ヤンソンスとの人間的関係、仕事ぶりについて熱弁を振るっていただいた。
――首席指揮者としてのヤンソンスは、どのような方でしょうか。
マルシック:
「我々の関係は、友情と権威のミックスです。非常にフェアで、人間的だと言えます。ヤンソンスはボスであることを表面に出しません。彼は自分をオーケストラの一員として理解していると思います。それは音楽家同士、という意識があるからだと思います。」
ミッテルバッハ:
「彼は我々に常に“同僚の皆さん”という言い方をしますね。思うに彼には、指揮者が自分のしたいことをオケに実現させるためには、大きな権威を振りかざすよりも、団員一人ひとりが自然とその方向に向かうようにすることの方が有効だと分かっているのです。つまり我々が彼の音楽を感じ、それに共感することの方が大切なのです。それはリハーサルをする時の方法にも表れています。彼は作品について色々な背景を研究するのですが、それをリハーサルで団員に説明します。例えば作曲家がこの作品を書いた時にこういう状況にあったとか、時代背景はこうだったとか、そういうことです。それを本当によく研究して、非常に説得力のある形で我々に話します。そうすると、どのような演奏が求められているのかが、非常に具体的に理解できます。同時に彼は、様々なシーンやイメージを例に引き出します。時には小さな、心を打つ物語です。そこでは我々が生き生きと想起できる感情のすがたが、手に取るように表現されているのです。」
――オーケストラ団員のなかには、言葉で色々と説明する指揮者を嫌う人もいると思いますが。
マルシック:
「優れた音楽家というのは、誰もがイメージやストーリーで考えると思います。もし音程やフレージングを実現するだけだったら、学問になってしまうでしょう。もちろん音楽自体の論理的な展開や技術面は大切です。しかしそれを論理としてではなく、様々なイメージに溢れた物語として実現するのが音楽家の仕事だと思います。我々はカルロス・クライバーとも仕事しました。彼もリハーサルでは、常にイメージを語りました。その物語の、どんなに素晴らしかったことでしょう。」
ミッテルバッハ:
「技術的な問題をクリアすることは、ヤンソンスにとっても当然のことです。きちんと合わせなければならない状況があれば、練習もさせます。私は彼のリハーサルがたいへん効率的だと思います。というのは、技術的なパーフェクトさを達成すると同時に、作品の解釈そのものに掛ける時間が多く残っているからです。」
城所 孝吉(音楽評論・ベルリン在住)
⇒第2回目に続く。
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